皆さんは、この世に歌詞がない国歌が存在するってご存じでしたか?私は知りませんでした。コソボの国歌を聞くまでは…
「国歌」という単語に「歌」という言葉が入っているので、どうしてもなんらかの発声を伴うものと思っちゃって、歌なしとかあるんだ!てなりますよね。
では、コソボの国歌にはなぜ歌詞がないのでしょうか?
「多民族国家です」と言っている手前、特定の言語を使えない
国旗の紹介ページにも書きましたが、コソボは2008年2月17日、多民族国家であるということを半端なく意識した体で独立しました。主要な民族は6つ、そして公用語は二つ(アルバニア語とセルビア語)とされています。
仮に国歌に歌詞があった場合、どうしてもいずれかの民族の言語を使う必要がありますよね。そうすると、多民族の国を表す歌ではなくなってしまう…という理屈なんです。
個人的には国歌のスタイルとして歌詞があってもなくてもいいと思いますが、国歌はやはり声を出して歌いたい!という人はガッカリなのかな~。
現実的に、歌詞があると何が問題なのか
歌詞なし国歌の制定を知ったときは、何よりも国際社会へのアピールなんじゃないかと思ったんですが、実際に歌詞が存在した場合に起こりうる問題について、少し考えてみました。
特定の民族のための国歌では、除外される人たちが出てくる
コソボのアルバニア人は、コソボ独立までは、アルバニアの国歌が自分たちの国歌のようなものだったので、みーーーんなアルバニアの国歌を歌えるんですよね。(アルバニアの国歌は相当古いらしく、歌詞がすごいです)
ユーゴスラビア時代の国歌は「スラヴ人よ」というタイトルで、セルビア語だったわけですが、スラヴ系ではないし言語も違うアルバニア人は、自分たちの歌だという気持ちは持てなかったはずです。
私の夫はアルバニア人ですが、「スラヴ人よ」を学校では習ったけど、誰も国歌として敬意を抱いていなかったし歌いもしていなかったと言っていました。
難しいですよね〜。住民の92%がアルバニア人なので、アルバニア語の歌詞があってもいい気もしますが、そうすると国歌を歌いたくない人や歌えない人も出てくるわけですよね。
民族の和解と共生に水を差す可能性がある
セルビア人の中には、コソボの中のセルビア人居住地域をコソボから分離させ、セルビア共和国の一部に組み込ませたいと考えている人もいます。これは、和解と共生を否定する動きで、新たな紛争の火種になりうるものだと言えます。
もし国歌がアルバニア語の歌詞だったら、「やっぱりコソボはアルバニア人の国だから分離するしかない」という大義名分を与えてしまう可能性があります。
「たかが歌詞」では片づけられない
そもそも紛争まではセルビア語の国歌だったのが急にアルバニア語になったら、セルビア人としては、祖国を奪われたような気持ちになるかもしれません。
また、以前、私のアルバニア人の友人はセルビア語が聞こえただけで具合が悪くなると言っていました。紛争のトラウマが蘇るようで。時が経てば変わっていくことかもしれませんが、たかが歌詞くらいとは言えない問題があると思います。
他にもあった、歌詞なし国歌を持つ国!… 二つだけど。
ところで、調べてみると、実は歌詞がない国歌は他にもあることが分かりました。それは、サンマリノとスペイン。(もしかしたら他にもあるかもしれませんが、私が見つけられたのはこの2国だけでした)スペイン国歌に歌詞がないのは、サッカーとかで知ってた人も多いかもしれませんね。
サンマリノの国歌になぜ歌詞がないかは、ちょっと調べただけでは分かりませんでしたが、スペインはやはり、バスクやカスティーリャの民族問題が絡んでいるようです。
スペインは自国内の民族問題を刺激しないためにコソボの独立も認めていませんし、センシティブな問題なんでしょうね。
コソボの歌詞なし国歌。難しいけど、熟考に熟考を重ねた上での歌詞なしなんだろうな〜と考えるコソボっ子でした。