コソボと私

はじめまして。当サイトの記事を執筆していますコソボっ子です。

私が初めてコソボを訪れたのは学生だった2006年のこと。当時のコソボはまだ国連の暫定統治下にありました。コソボ行きの飛行機の中、不安と期待でドキドキしながら、私の人生はここで大きく変わるんじゃないかという、不思議な予感にも似た気持ちを抱いたことを覚えています。

自己紹介の代わりとして、私のコソボとの出会いについて書いてみました。読んでもらえたら嬉しいです。

病んでいた学生時代に旧ユーゴにハマる

クロアチアのザグレブ
クロアチアの首都ザグレブの美しい中心部から少し離れたところに、旧ユーゴの紛争で難民となった人たちが暮らしていた(2006年当時)

そもそもコソボに行くきっかけになったのは、クロアチアとマケドニア(現北マケドニア)で行ったボランティア活動でした。

大学で国際関係を学んでいた私は、机の上で全てが完結することに違和感を抱いていて(というよりなかなか病んでいました)、日本を飛び出して、何でもいいから実際に自分の目で、身で感じたい、何か自分でできることをやってみたいと思うようになりました。

そんなときに出会ったのが、旧ユーゴスラビア地域でのボランティア活動だったのです。(特に旧ユーゴがいいと思っていたわけではなく、たまたま見つけました)

派遣されたクロアチアとマケドニアの人たちは、みんな温かく、子どもたちは可愛くて人懐こくて、一気に旧ユーゴが大好きになりました。そしてそれと同時に、旧ユーゴのことをもっと知りたいと思うようになりました。

もっと知りたい!との思いでコソボへ

2006年のコソボの地方都市
2006年に撮影したコソボの地方都市の中心部。今とは全然違う風景だ

そのうちに、旧ユーゴの中でもまだ行ったことのない地域に行ってみたいという気持ちが強くなり、コソボでのボランティア募集情報を見つけた時は興奮しました。

とは言え当時のコソボは、まだ外務省が渡航中止勧告を出している場所。ビビリの私は行くかどうかかなり迷いました。でも、たまたま大学の先輩でコソボに行ったことがある人がいて、どんなところか聞いてみたところ「全く心配いらない。安全だ」と断言されたので、心を決めて行くことにしたのでした。

昔のプリシュティナ空港
当時もコソボのプリシュティナ国際空港。当時は本当に小さ空港だった

コソボに行くのは楽しみだったのは嘘ではありませんが、実のところ期待2割不安8割くらい。だったら行くなよというくらいおっかなびっくりだった私でしたが、コソボで出会った人たちは、大人も子どももみんな大らかで楽しくてホスピタリティに溢れて、人懐っこくて好奇心いっぱい。あっという間に打ち解けて、毎日が本当に楽しかったです。

ホストファミリーのうち、年齢が近かった男性(今の私の夫です)とは毎日いろんなことを話しました。辛い思い出である紛争のことも話してくれて、あまりの悲惨な体験に、本当に衝撃を受けました。

いつも笑って温かく、太陽のようなコソボの人たちがそんな辛い経験をしてきたのかと思うと、今でも胸が苦しくなります。

ろうそく
ろうそくは生活必需品だった

また、当時は今と違って水も電気も圧倒的に不足しており、いつもロウソクが手放せないし、水がない時は本当に大変でしたが、工夫をしながら生活をしていて、みんな全然暗くないんです。

異なる食べ物、異なる言葉、英語も全然通じないしストレスもありましたが、何よりコソボの圧倒的なエネルギーに私は惹かれました。

コソボのこと、大好きだから伝えたい

予感したとおり、コソボに出会って私は変わったと思います。長い付き合いの中、コソボは良いことも悪いことも、いろいろな経験をさせてくれた場所です。

もうコソボなんて嫌い!て思ったこともあります。もちろんいつだって本当は大好きなんですけどね。今はそんな恋みたいな気持ちも落ち着いて、コソボへ抱く気持ちは「愛」という感じです。

ブログでは、私が大好きなコソボをたくさん紹介していきたいと思っています。好きなところもそうじゃないところも、正直に書くつもりです。このブログを通して、皆さんにコソボに興味を持ってもらえたら嬉しいです。