ジョコビッチの「コソボはセルビア」発言について考える

テニスの錦織選手の最大のライバルとして、日本でも有名なノバク・ジョコビッチ選手。彼は生まれも育ちもセルビアですが、実は父親がコソボ出身だとご存じでしたか?

コソボに住むセルビア人からも絶大な人気を誇っているジョコビッチですが、彼自身もコソボに対しては特別な感情を抱いているようです。

Embed from Getty Images

かなり前ですが、ジョコビッチはセルビアのテレビで「コソボはセルビアだ」と発言したことがあります。

世界的なスタープレイヤーによるこの発言は、私にとってなかなかショッキングなものでした。ただ、こういった考えを持つのはジョコビッチに限った話ではなく、同じような思いを持つセルビア人はたくさんいると思います。

セルビアの「コソボはセルビアだ」という強いこだわりは、外国人にとってはなかなか理解が難しいことだと言われています。今回は、こういった意識は一体どこからきているのか、考えてみたいと思います。

スポンサーリンク

ジョコビッチは「セルビア民族主義者」とは言い切れない

セルビア人の父親とクロアチア人の母親を持つジョコビッチ。当然と言えば当然かもしれませんが、クロアチア人に対してはネガティブなイメージは持っていないようで「自分がセルビア人だと言われようがクロアチア人だと言われようが構わない。ほとんど同じことだ」と語っています。

確かに、セルビア人とクロアチア人は同じスラヴ民族であり、話す言葉もほぼ同じです。

はかせ
今でこそ「セルビア語」「クロアチア語」と分けられているけど、以前は「セルビア・クロアチア語」とひとまとめにされていたよ

しかし、クロアチアが旧ユーゴスラビアから独立する際の紛争(1991年~1995年)では、クロアチア人とセルビア人の間で武力衝突が起きており、多くの死傷者が出ています。

ジョコビッチがセルビア民族主義者であれば「セルビア人とクロアチア人はほぼ同じ」なんて言うはずないので、彼がセルビア民族主義者だと言い切るのは正確ではないと言えます。

だけど、コソボ紛争も、クロアチアと同じく独立を巡って起きたもの。そもそもコソボでは人口の9割がアルバニア人で、セルビア人はマイノリティです。加えてコソボは旧ユーゴの中で最貧国。コソボがセルビアの一部であることがセルビアにとって経済的な利点になるとは思えません。

なのに、コソボに住んでいるわけではないセルビア人までも「コソボはセルビアだ」と発言してしまうのはどういうことなのでしょうか。

コソボはセルビアにとって象徴的な悲劇の地

旧ユーゴスラビア地域を含むバルカン半島は、13世紀末から400~500年間、オスマン帝国の支配下に置かれています。コソボでトルコ由来の文化がたくさん見られるのは、その名残ですね。

おほしちゃん
コソボの大多数の人がイスラム教徒だったり、ケバブ(コソボではチェバパ)を食べたりするのは、オスマン帝国による影響なんだね!
実は、このオスマン帝国によるバルカン地域の支配を決定づけたと言われているのが、1389年に起きた「コソボの戦い」なのです。
これは、当時のセルビア王国が率いるバルカンの連合軍とオスマン軍との間に起きたもので、戦場となったコソボ平原は、現在のコソボの首都プリシュティナ郊外にあたります。
この戦いでは双方の王が討ち死にしていますが、結局セルビアが敗北してしまい、オスマン帝国のバルカン半島への進出は決定的なものになりました。
おほしちゃん
ここまで昔の話だと「へ~、だから何?」て思っちゃわない?
はかせ
日本だと南北朝が統一されたころだからね
おほしちゃん
南北朝…う〜んと、足利的な?金閣寺的な?ん?信長より前?
はかせ
織田信長が生まれる145年前だよ
おほしちゃん
むかし〜!
私たちからすれば、いつの時代の話?と思ってしまいますが、この戦いは、セルビアにおいて悲劇として神話化され、セルビア民族共有の「記憶」としてコソボ紛争の際にもナショナリズムに利用されているのです。
Embed from Getty Images
実際、1989年にはコソボの戦い600周年を記念して、旧ユーゴスラビア大統領であったミロシェヴィッチが、かつて戦場だった場所で集会を開催しており、100万人もの人々が集まったと言われています。
おほしちゃん
ろ、ろっぴゃく周年に100万人…
この事実を知っても「そうか、コソボは歴史的に重要な場所だから手放せないんだな」とすんなりとは思えませんよね。でも、コソボは大切な場所だと教育され続けたら、コソボ独立に抵抗を感じてしまうものなのかもしれませんね…。
はかせ
バルカンでの歴史教育の果たす役割について本を紹介しているから、興味がある人は見てみてね!>>バルカン史と歴史教育

「コソボ=悲劇の地」である意味

「コソボの戦い」って負けた戦いなのに、どうして民族の記憶として語り継がれるのか、どうしてその記憶がナショナリズムを鼓舞するのか、不思議な気がしませんか?

おほしちゃん
過去の栄光をふりかざして「俺たちすごいだろう」って言う方が分かりやすい気がするよね

そもそもバルカン地域は、大国による支配が繰り返された場所なので、日本のナショナリズムとは現れ方が違うのは当たり前かもしれません。

そしてこれは旧ユーゴの全民族に言えますが、特に紛争中、自分たちの民族を正当化するために、悲劇が利用されたことはとても大きいと思います。

紛争では、自民族が常に犠牲者で、他民族が常に加害者であるという構図が必要となります。政治家たちはこの構図をプロパガンダとして積極的に利用しました。そのことによって相手への恐怖や憎しみが増長され、戦いに正当性が生まれるわけです。

コソボでも、紛争前に起きた様々な事件が、十分な検証がされることなく、神話化されてナショナリズムに利用されました。

コソボ紛争は、コソボを「失った」セルビアにとっては負けたようなもの。しかも国際社会の介入があって紛争が終結していることから、オスマン帝国に侵入されて敗北した「コソボの戦い」の記憶とリンクしやすいかもしれません。

旧ユーゴスラビア空爆の記憶

それから、ジョコビッチのコソボへの思いの背景には、少年の時に経験した空爆も大きいかもしれません。
コソボにおけるアルバニア人への人権侵害に対して、「人道的介入」という名目でNATO軍が空爆を行ったのは、ジョコビッチが11歳の時でした。
空爆によって破壊されたビル
空爆により破壊されたベオグラードの国防省ビル
ジョコビッチが住むベオグラードはコソボから遠く離れていましたが、激しい空爆が行われました。当時8歳と4歳の弟がいた彼は、兄として彼らを守る立場にあったと語っています。(CNN, Novak Djokovic: how a kid from war-torn Belgrade beat the odds)
私は経験したことがないので分かりませんが、空爆のサイレンや爆撃音への恐怖は相当なものだったでしょう。
また、コソボから遠く離れた地で、直接的な加害者でも被害者でもないのに「どうして自分たちが」という思いを抱いてもおかしくありません。

コソボは誰の所有物でもない

私は、「コソボはセルビアだ」という発言には反対です。どんな国・地域にも言えることですが、コソボは特定の民族のものではないし、誰の所有物でもないからです。

私はコソボの独立を支持しています。コソボは、独立を求めて悲劇が起きた場所です。過去を乗り越え、生まれ変わった国として新しいスタートを切るためにも独立は必要だったと思っています。

ジョコビッチは、「コソボはセルビアだ」と言ったことを後悔していないと語っています。コソボは「家族が生まれた場所」であり「セルビアの文化そのものの発祥地」でもあり、さらには「我々は正義を欲している」とまで述べています。(TENNIS.COM, DJOKOVIC DOESN’T REGRET KOSOVO COMMENTS)

セルビアにとっての文化的な重要性という面では、確かにコソボには中世のセルビア正教の修道院など、歴史的な建造物が数多く残っており、そのうちのいくつかは世界遺産に登録されています。

コソボに残るセルビアの文化について、セルビア人として誇らしい気持ちになるのは分かります。だけどそのことと「正義」がどう結びつくのか、彼の言う「正義」がなされた状態は果たしてどういうものなのかは私には分かりません。

Embed from Getty Images

私は、世界遺産の修道院に行ったことがあります。修道院は小さな町デチャンのはずれにあり、山の中にひっそりと佇んでいました。

その時の思い出として、歴史ある美しい建物より、修道院の厳かな雰囲気より、心に残っているのはセルビア人修道士が穏やかに語ったこんな言葉です。

「この修道院は、セルビア人の宝でもあり、アルバニア人の宝でもあります。すべてのコソボの人にとっての宝なのです」

この場所は誰のものだとか、歴史的にどんな意味があるとか、そんなことではなくて、そこで生まれ育って、いまその土地を愛している人が、ここは自分の国だと胸を張って言えるようになってほしいと、強く思います。