最近何かとバタバタしており、ブログの更新が滞っておりましたが、今日はコソボの独立記念日でございますよ!おめでとう!!!
ああ、独立してからもう12年たつんだなあ…。せっかくなので、これまでを振り返りながらつらつらと書いてみようと思います。
私がコソボに初めて行ったのは2006年のこと。コソボの人口の多数派であるアルバニア人とばかり接してきたので、アルバニア人サイドの声しかお伝えできませんが、みんな「独立したい!」「独立しかない!」「独立はもうすぐだ!」と言ってましたね。
コソボ紛争がセルビアからのコソボの独立をめぐるものだったので、当然ではありますが。
町中の壁という壁には「JO NEGOCIATA(交渉はいらない)」と書いてありました。交渉なんかせず独立あるのみ!という意味です。
当時は、紛争が終わって、セルビア政府はコソボを直接的に統治していないものの、コソボは独立国家というわけでもなく、国連の暫定行政ミッション(UNMIK)の下で、宙ぶらりんな状態でした。
入国審査のスタンプも、国連のマークに「UNMIK」という文字が入ったものでした。住民のパスポートもUNMIKが発行したもの。国旗のマークが入るべき表紙には、同じく国連のマークが入っていました。
至る所にNATO軍主体のKFORの兵士がいて、私のいたヴシュトゥリという町は、フランス軍の管轄でした。
いつでもどこでも、カフェの中でも、軍服を着て銃を持った外国人兵士が当たり前のようにいました。これが日常なのかと、ショックを受けたのを覚えています。治安維持のためとは言え、いい光景ではないですよね。
コソボには、国連や多国籍軍などの国際機関が支援のために駐留していましたが、それによってもたらされたのは、いいことばかりではありません。
KFORの兵士により、地元の少女がレイプされて殺害されたこともありました。
国際機関の職員や兵士がメインの顧客となって売買春が行われたため、紛争後のコソボは、組織的な人身売買の一大マーケットになってしまいました。
人身売買のことは、修士論文のために調べて初めて知ったことだらけだったのですが、コソボ内外の若い女性が騙され、売り飛ばされ、劣悪な環境で売春させられるというもので、こんなことが現実にあるのかと胸が苦しくなりました。そして、彼女たちを利用する人間たちに猛烈に腹が立ちました。
紛争は、終わったあとでもこんなにおぞましいんだなと思います。
ちょっと話がそれてしまいました。
私はちょうどコソボが独立する直前にコソボをテーマにした卒業論文を書いておりまして(懐かしい!)、提出が確か2月初旬だったので、「コソボは間もなく独立宣言を行う見込みだ」みたいなことを書いたのを覚えています。
セルビアと合意はなく、一方的な独立宣言でしたが、コソボの多くの人が喜びに満ち溢れていました。
日本の新聞か何かでは「コソボの住民は次はアルバニアとの合併を望んでいる。大アルバニア主義だ!危険だ!次の紛争の火種になりうる!マジで心配だ!」みたいな、人ごと且つ煽動的で全くもってネジくれた偏向的な記事を見てイライラしたのを覚えています。
皆さん誤解しないでください!!
コソボの人口の大多数はアルバニア人である→はい。
アルバニア人は概して、アルバニア人であることへの誇りがすさまじい→はい。
アルバニア人は世界中のアルバニア人への仲間意識が半端ない→はい。
コソボのアルバニア人は、近隣諸国であるアルバニアやモンテネグロや北マケドニアに住むアルバニア人と一緒に一つの国家を作りたい(大アルバニア主義)→いいえ!!!いいえええーー!!!
大アルバニア主義とか、ぜんっぜんメジャーな考えじゃありませんから!!!
何でもかんでもドラマチックにすればいいと思うなよ!!!
一部の過激派の意見だけを切り取って、それが全住民の総意かのように報道するんじゃない!!!!
ふう。
話戻しますね。コソボが独立した2008年の夏、私はドイツに行っていたのですが、そこで偶然コソボ出身と思われる少年とお母さんを見ました。なぜコソボ出身と分かったかと言うと、少年が着ていたTシャツに「僕にも今は国がある」とアルバニア語で書いてあったからです。
私は現夫と一緒に歩いてたんですが、興奮してついTシャツの文字を音読してしまいました。そしたらその親子が嬉しそうにこっちを振り返ったのを覚えています。ああ、あの人たちは、今どこで何しているんだろう…。
2006年に夫が私に戦争体験を話してくれたとき、衝撃すぎて言葉が出ませんでした。紛争が最も激しくなっていた当時16歳くらいだった夫は、初めて人が殺されるのを見た時はショックだったけど、次第に何も思わなくなったと言います。年齢を偽ってコソボ解放軍に入隊しようとしたけど、バレて失敗したそうです。本人は笑いながら話したりするんですが、一つ一つの話が、胸が破れそうになるほど悲しくて、重かった。
家を燃やされたり、大切な人を奪われたりした人たちが、憎しみを抱かないようにすることはどれほど難しいでしょう。
コソボが悲しいだけの場所ではないことを示すためにも、独立は必要だったと私は思っています。
コソボでも、アルバニア人以外では独立が嫌だという人がいるのは当然ですが、誰のものでもない新しいコソボが誕生したという前提で、私はコソボの独立を支持しているんです。
だから、独立記念日おめでとう!!コソボが大好き!!